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松島と島

島の成り⽴ち

松島は宮城県の松島湾内外にある諸島のことを呼んでいます。海に浮かぶ島々が特徴的な松島湾ですが、いくつの島があるのかご存知でしょうか?
なんとその数は260あまりと⾔われています。氷河期以降、地殻変動による丘陵の⼀部沈下と温暖化による海⽔⾯の上昇が起き、約5000年前に現在の松島が作られたと考えられています。

震災を経て⽴ち

平成23年3⽉11⽇に発⽣した「東⽇本⼤震災」は、太平洋沿岸各地に未曾有の被害をもたらしました。
松島の遊覧船も被害をこうむりましたが奇跡的に壊滅を免れることができました。貴重な松の⽊も流されることなく耐えています。

仁王島

震災前

震災後

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ドーラン島

震災前

震災後

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蓬莱島

震災前

震災後

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材⽊島

震災前

震災後

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松島と歴史的⼈物

松島には260余りの島々があり、平安の世から歌に詠まれたり、絵画に描かれていたりしたため、その名称はよく知れ渡っていました。
伊達政宗の瑞巌寺、五⼤堂など、様々な寺院が建ち、段々と松島を訪れる⼈も多くなっていきました。
その美しさから、松島の名所を歌に詠んだり、名所を宣伝する本も多く世に出回りました。

松尾芭蕉

その中でも特に有名なのが1689年(元禄2年)に訪れた松尾芭蕉です。
この芭蕉の旅⽇記は【奥の細道】として、現在でも多くの⼈に読まれています。
松尾芭蕉が書いた「奥の細道」冒頭に

”ももひきの破れをつづり、笠の緒つけかえ、三⾥に灸すゆるより、松島の⽉まず⼼にかかりて”

と書かれております。これは⻑い旅にでるので、準備を備えるぞという時に、聞きしに有名な松島の⽉⾵景が、⼼に浮かび上がる…という⽂章です。
かかりてには「⽉にかかる」と「⼼にかかる」がかかっているとされています。松尾芭蕉らしい、粋な⾔葉です。
芭蕉が夢⾒た美しい絶景がここ「松島湾」には広がっています。

伊達政宗

東北地⽅を代表する戦国⼤名伊達政宗が再建した五⼤堂など松島には伊達政宗と関係の深い場所が多く存在します。

瑞巌寺

瑞巌寺は、仙台藩伊達家の菩提寺です。
平安時代に慈覚⼤師(じかくだいし)によって創建され、江⼾時代、伊達政宗が約5年の歳⽉をかけて再建した菩提寺です。本堂では煌びやかな襖絵をはじめ、政宗と仙台藩2代藩主・伊達忠宗の位牌が安置された仏間を⾒ることができます。

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千貫島

松島島巡り観光船のコースに伊達政宗お気に⼊りの島として知られる「千貫島」があります。千貫島は右に松の気が⽣えた島ですが伊達政宗が湾内を遊覧した際に「あの島を余の館に運ぶ物あらば銭千貫を遣わす」と⾔ったところから千貫島と名付けられました。

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